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【コラム】元学校嫌い、母になっても学校はやっぱり苦手

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小学生の頃、夜の布団で考えることは「明日はどうやって学校を休もうか」という計画。

学校でいじめられていたわけでも、友達が作れずボッチだったわけでも無い。

運動や勉強が苦手だったわけでも無いし、先生の話を聞けるし、授業態度も褒められる。大人から見て「優秀」と評価される子供だった私はとにかく「学校が嫌い」だった。

どうしてそんなに学校へ行きたくないのか。

当時何度もされた質問に、私は答えることができなかった。

なぜならその理由は自分でもわからないのだから。

大人になった今、その頃を思い返してみれば「あれが嫌だったんだな」と思い当たる節はいくつかあって、その理由の一つに「給食」がある。

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【残すことは悪】とされる学校給食。

給食は残してはいけないものだから、苦手な食材が出る日は絶対に学校へは行きたくない。

すべて食べきるまで終わらない給食の時間、その罰を与えられた翌日は頑固として学校へ行くことを拒絶した。

その時食べられなかったものは今でも覚えている。しいたけ一切れだ。

どうして教師はあれほどまでに完食を強要したのか。そして、完食の強要は今でも学校の現場で続けられているようで、その話を聞くたびに「そんなことはやめてくれ」と切なくなる。

確かに作ってくれた人への感謝、食べ物を大切にする心を育てるためには給食をすべて食べようと指導する事は悪い事ではないと理解できる。しかし、生理的に苦手なものは誰しもが持っているもの。

苦手だというものを無理に食べさせて心に傷を負わせるような「完食美学」は本当に必要だろうか。

子供の頃に苦手でも、大人なって食べられるようになることは多い。そもそも、苦手な食材があるからといって、将来病気になるわけでも無いのに。

実際は私は好き嫌いの多い子供だったが、ほとんど病気知らずの健康優良児だった。

だから病気がちですぐに熱を出す子がどれほど羨ましかったことか・・・。

健康優良児である私の病欠は9割が「仮病」だ。

冬の時期の「インフルエンザ」をどれほど切望したことか・・・。親には迷惑な話だが、学校を休みたい私にとってインフルエンザは欲しくてたまらないものだった事を覚えている。

先生は小さな世界の王様だ

また、私は「先生」という存在が苦手だったように思う。

先生の話をよく聞き、キビキビとした行動をとれるのが良い子。少しでも行動が遅れる、列を乱す子は悪い子。

静かに授業を受けることができない子を叱り、時には見せしめのように罰も与える。そういう「先生」という存在はとにかく恐ろしく、目を合わせたくない存在だった。

小学校は担任の先生が一人で全ての授業を行う事が多く、一日中同じ面子で過ごすのがクラスという小さな世界。その小さな世界で「先生」の言う事が絶対で、それを聞くのがあたりまえという雰囲気は、子供の頃の私には苦痛で息苦しかったのだ。

それは私が、大人の言う事を聞く真面目で良い子だったから。

やりたくないことも「はい」と聞き。絶対に逆らわない。

それが当たり前だと、正しい事だと洗脳されながらも、心の奥底では抗いたいと思っていたのかもしれない。

また、小学生の小さな世界でも上下関係は存在し、積極的で活発な子に他の子達が集まっていく。私はそうしたよくわからない人間関係が特に苦手だった。

つまりは、伝統的に「皆が同じである事」「皆と同じ行動をとる事」を強要され、担任と言う存在を筆頭に目に見えない上下関係が存在する学校という世界の雰囲気が苦手であり、それでも子供ながらに必死に空気を読み、その輪からはみ出さないようにと息を殺して生活していた私にとって「学校」という場は息苦しくて仕方のない場所だった。

全ての学校教師がそうだとは言わないが、先生たちにとって「生徒は従えるもの」と無意識に思っている人が多いのではないだろうか。

けれど、学校と言う場が私にとってずっと辛い場所だったかと言えばそうでもない。

私が学校を嫌いだったのは中学までだった。

高校へ進学した私は、それまでとは真逆で学校に行くのが楽しく、学校を休む事ばかりを考えていた小中時代が嘘のように卒業してみれば「3年皆勤」という結果。結局は義務教育の9年間はその校風と出会う人たちが肌に合わないだけだったのだ。

子供を通して学校と関わる今

母となって我が子を通じて再び小学校と言う場にかかわるようになって数年、最近また学校への苦手意識が芽生えつつある。

原因は、幼い頃に苦手と感じた「一律が善、遅れて乱すことは許さない」といった態度の「箱庭の王様タイプ教師」が現れたからだ。

一見にはハキハキと明るく元気のよい熱血。

子供に対して常に威圧(無意識)で従わせ、保護者に対しても有無を言わせない強引さは私が一番関わりたくない存在。

子にも親にも無意識に理不尽を押し付けてくるので、今はただはやく年度が変わってくれと願うばかり。

彼らに悪意が無い事はわかっている。ただ熱心なだけなのだ。

苦手意識はいわばこちらの勝手なものでもあるので、当たり障りなく時が過ぎて関わり途切れるのを待つのみ。そう、学校生活は期限があるのでありがたい。

と、まぁ。私が勝手に不満を持ちウダウダとした気持ちでいることは子供達には全く知る由もない所で、彼らは毎日学校へ行っている。


「めんどくさいなぁ」とは口にしながらも「行きたくない」とはこれまで聞いたことが無い。
どうやら私の学校嫌いの遺伝子は渡さなかったようだ。

入学以来、病気以外の欠席無しで通い続ける子供達をただただ「偉い」「すごい」と心から尊敬している。

学校に普通に通学できることはそれだけで奇跡だと思ってしまうのは、万年仮病の理由ばかりを考えて小学時代を過ごした私にしてみれば、大げさでもなんでもない。

なんてこの子達はすごいのだろうと誇りに思う。

だから「お母さんは学校には近づきたくもないし、担任と目を合わせるのも遠慮したい」という本音は全力で隠し、参観日には欠かさず学校へ行くし、PTA行事や役員も逃げずにやってみせるのだ。

それが、学校の楽しさは絶対に教えてあげられない私にできる精一杯の応援だから。